センターランドグループの各社は、国の重要文化財をはじめ県・市・町文化財、さらには史跡にいたるまで、後世に残すべき貴重な建造物の修理・建築を手がけています。そのフィールドは日本全国に渡り、センターランドグループの「技」の高さを証明しています。
ハリストス正教会
函館ハリストス正教会(はこだてはりすとすせいきょうかい)は、函館市元町にあるキリスト教(正教会)の教会である。聖堂は国の重要文化財に指定されている。
「函館ハリストス正教会」は教会名。聖堂の正式名称は「主の復活聖堂」である。その名の通り、ハリストス(キリストのギリシャ語読み)の復活を記念する聖堂である。日本ハリストス正教会に所属している
保福寺
青森県黒石市にある曹洞宗のお寺。
旧黒澤家住宅
今から約三百年前に現在の秋田市中通三丁目にたてられた上級武家屋敷住宅です。旧黒澤家住宅のように完全な形で江戸時代の形を伝える武家住宅は全国的にも類例がありません。
正法寺
正法寺(しょうぼうじ)は、岩手県奥州市水沢区にある曹洞宗の寺院。山号は大梅拈華山(だいばいねんげざん)。本尊は如意輪観音。1990年(平成2年)9月11日には、本堂などが国の重要文化財に指定された。曹洞宗三本山の一つで、今でも修行僧が厳しい修行を行っている。
玄妙寺
会津妙法寺第五世日満上人、北方開教を発願し、山形市吉原に法喜庵を結庵、城主最上義光公に寺地を賜り、天正六年(1578)浄光寺を開創せる。
天正15年(1587)法喜庵を永久保存するため、吉原より現在地に移築し、日満上人の隠居所と定める。これが玄妙寺開創の嚆矢である。
教開宗七百五十年慶讃・開山三百五十年記念事業として、本堂・位牌堂の建立を発願、総木曽檜造りにてその完成。
仙台大崎八幡宮本殿
大崎八幡宮(おおさきはちまんぐう)は宮城県仙台市青葉区八幡にある神社である。社殿は国宝に指定されており、どんと祭の裸参りで知られる。
浄興寺
親鸞が開山した古刹。境内には親鸞聖人の「御頂骨」を納めた御本廟がある。宝物殿もあり、見物することができる。本堂は国の重要文化財指定。
会津若松城
若松城(わかまつじょう)は、福島県会津若松市追手町にある城である。観光名所として及び地元では一般的に鶴ヶ城(つるがじょう)といい、地元以外では会津若松城と呼ばれることも多い。文献史上では黒川城(くろかわじょう)、会津城とされることもある。国の史跡としての指定名称は、若松城跡(わかまつじょうあと)という。
旧富山県立農学校
富山県の農業の近代化に貢献した学校施設である。地方の大工が独自に洋風の意匠を摂取したことを示す典型的な建造物としても貴重である。現在地へ移築保存された際、「巌浄閣」と名付けられた。
松本城太鼓門
松本城太鼓門枡形は、天守築造後の文禄4年(1595)ころに築かれ、門台北石垣の上に太鼓楼が置かれ、時の太鼓、登城の合図、城下の火急の合図などの発信源として重要な役割りを果していた。太鼓門という名称は、この太鼓楼に由来したものである。
桐生天満宮
社伝では景行天皇の時代(71年〜130年)に天穂日命を祀る神社として創建されたと伝えられ、当初は礒部明神といった。南北朝時代初期に桐生綱元(桐生氏の祖)が現在の所在地に移し、菅原道真を合祀して天満宮となった。江戸時代には徳川家の祈願所となっていた。現在の社殿は1789年に建造されたものである。
坂野家住宅
だいじん屋敷と呼ばれる「坂野家住宅」は今は水海道風土博物館。江戸時代の新田開発で財をなした豪農を偲んで屋敷内を散策した建物は国の重要文化財に指定されている/p>
大沢家住宅
川越城下町の中心部である札の辻の傍らにあって、小服太物の豪商近江屋半右衛門が寛政4(1792)年に店舗として建てたもの。防火を目的とする土蔵造り故に数度の大火にも類焼をまぬがれた。関東地方の町家の蔵造り、商家の古い例として、貴重なもの。国指定重要文化財。
慈照寺山門
県指定有形文化財(建造物)1639年建立。桃山時代の古い様式をよく残した江戸初期の貴重な建築。
ニコライ堂
ニコライ堂(ニコライどう)は東京都千代田区神田駿河台にある正教会の大聖堂。国の重要文化財に指定されている。
日本ハリストス正教会の本部である全日本の府主教座・東京大主教座聖堂であり、正式名称を東京復活大聖堂という。緑色の大きなドーム型屋根が特徴である。ニコライ堂の名は日本に正教会の教えをもたらしたロシア人修道司祭(のち大主教)聖ニコライにちなむ。
那古寺
那古寺(なごじ)は、千葉県館山市にある真言宗智山派の寺院。山号は補陀洛山。本尊は千手観世音菩薩であり、坂東三十三観音霊場第33番札所(結願)の寺である。通称は那古観音(なごかんのん)
三渓園内月華殿
月華殿【重要文化財】1603年(慶長8年)建築。初代徳川家康により、京都伏見城内に建てられたものといわれています。 1918年(大正7年)に春草廬と共に移築されました。三溪が建てた金毛窟とつながっています。
油山寺山門
天平勝宝元年(749年)、行基上人(ぎょうきしょうにん)により開基された。目の霊山として知られ、日本3大薬師の一つである。山門や三重塔などは重要文化財。昔は油が湧き出ていたといわれる。
妙応寺
妙応寺は金沢の卯辰山山麓寺院群にある日蓮宗のお寺です。
旧太田脇本陣林家住宅
太田宿の脇本陣「旧太田脇本陣林家住宅」は、明和6年(1769年)に創建された古い建物です。林家は、江戸中期、脇本陣を勤めるかたわら庄屋として尾張藩太田代官の指揮下で宿の行政事務を取り、家業として質屋や味噌・溜の製造販売も営んでいました。
犬山城
荻生狙徠が李白の詩になぞらえ白帝城とたたえた犬山城。1537(天文6)年に織田与次郎信康を城主として築かれた平山城だ。国宝四城のひとつ。
建物の名前
説明文
熊野大社
751(天平勝宝3)年、奈良東大寺の実忠和尚創建の古刹。楼門、本堂、そして33年に一度しかご開帳されない本尊の十一面観世音像は秘仏で国の重文。次回の開帳は2015年予定。
大原三千院庫裡乃宿坊
三千院(さんぜんいん)は、京都市左京区大原にある天台宗の寺院。三千院門跡とも称する。山号は、魚山(ぎょざん)、本尊は薬師如来、開基は最澄である
建物の名前
説明文
北田家
地元では代官屋敷と呼ばれているこの住宅は、宝永から享保年間(1708〜1734)にかけて主屋が建てられている。間取りの最大の特色は上手の前面に突出した角屋をもつことで、その遺例は最古である中でも立派な長屋門は、天保14年(1843)に建てられたもので、長さ55.9mもあり民家では日本一の長さである
速玉大社
本宮・那智とともに熊野三山の一つ。社殿はいずれも丹塗りの鮮やかなものだ。神宝が多く、国宝の室町時代の神宝類をはじめ約1200点にのぼる文化財は神宝館をはじめ博物館などに収蔵されている。
15番館
1880(明治13)年、15番地に建てられたこの建物は、現在、神戸市内に残っている異人館としては最も古い建物で、木骨煉瓦造2階建、寄棟造、桟瓦葺で2階は南側両端にペジメントをつけ、コロニアルスタイルの開放されたベランダを持ち、外観は石造風意匠となっています。
門脇家住宅
門脇家は大山の西北山麓にあり,江戸時代には大庄屋を勤めた。主屋は明和6年(1769)の建築になる寄棟造茅葺の大型民家である。主屋の他,水車小屋・米蔵などの附属建物があって江戸時代以来の広大な屋敷構えを伝えている。
備中 松山城
標高430mという、現存する城郭としてはもっとも高所に建つことで知られる。天守閣、二重櫓、土塀の一部が昔の姿で残り、国の需要文化財に指定されている。
熊谷家住宅
大森町年寄の遺宅。広大な屋敷地、主屋、付属屋と共に4つの蔵が建ち並び、大森では代官所に次ぐ、部屋数が34ある総漆喰の建物。重要伝統的建造物保存地区にある重要文化財。
厳島神社
6世紀末、推古天皇の御代の創建とされる。現在の優美な寝殿造りの社殿は平清盛によるもの。本社から約200m沖に立つ大鳥居は、クスノキの自然木で造られたもの。
建物の名前
説明文
松山城
加藤嘉明が築城を手がけ25年の歳月をかけて1627(寛永4)年に完成。各櫓、城門、天守閣など21棟の建造物が重要文化財。山頂からは市街地や瀬戸内海を一望できる。
旧門司三井倶楽部
もとは、三井物産がVIPの接待や宿泊のために建てた木造2階建ての社交クラブ。2階に、アインシュタインメモリアルルームや林芙美子資料室がある。
薦神社
薦神社(こもじんじゃ)は承和(じょうわ)年間(834〜848)の創建と伝えられている古社です。別名、大貞八幡宮とも呼ばれ、宇佐八幡宮の元宮とも伝えられる。史跡は内宮である5ヘクタール余りの池と、外宮の社殿からなる。
高取家住宅
旧高取家住宅は、敷地約7,600平米。炭鉱主として成功した高取伊好(たかとりこれよし)1850年〜1927年の旧宅で、和風を基調としながら洋間をもつなど明治時代の邸宅の特徴を備え、大広間に能舞台を設けたり、絵が描かれた杉戸、動植物をテーマとした欄間など明治の香りが強く残る邸宅です。
熊本城 本丸御殿
本丸御殿は、城郭のなかで天守閣とともに中心をなす建物で、藩主の居間、対面所、台所などの機能を備え、大広間、大台所をはじめ数寄屋、書院などの多くの部屋から構成。慶長15年(1610年)頃、加藤清正によって建設され、西南戦争直前の明治10年2月に焼失した。築城400年にあたる平成19年(2007年)をめどに本丸御殿や、西出丸の塀、戌亥櫓、元太鼓櫓、奉行丸の塀、未申櫓、南大手門―など熊本城への登城ルートの建造物を復元することとしている。
崇福寺大雄宝殿
1629(寛永6)年に長崎に在留していた福州人たちが故郷の僧超然を迎えてつくった寺。本堂と第一峰門の2つの国宝と、竜宮門など5つの国の重要文化財がある。
古市家住宅
種子島を代表する民家建築。島主の種子島氏に仕え、庄屋などを務めた古市源助が弘化3年(1846)に建てたもので、建造当時の原形をほぼとどめていることから、国の重要文化財に指定されている。
守礼門
1527年頃の創建といわれ、首里城へ登る綾門大道にある坊門の一つ。「守禮之邦」という扁額は尚質王代後期頃から常時掲げるようになったといわれている。
【過去10年の実績】